[啄木の花] テキスト by 杉元伶一

先日、作家でボクの幼馴染みの杉元伶一に一文を寄せて貰いました。
そんな訳で本日は、彼の名文を是非お読み戴きたく。。。
※ その時、石川啄木の家に飾られていた花とは、一体???

クワイ氏の撮った美しい花の写真を眺めていて、そういえば、もう何年も花を買っていないという事に思い当たった。
最後に花を買ったのはいつだったか。。。
まだ独身だった頃はよく花を買い、せっせと女性へ贈っていた。誕生日に歳の数だけバラを花束にしたり、卒業や就職、発表会などのお祝いの席、自宅へ招待された時には花を持っていった。女性に物を贈ってご機嫌を取るというのは、竹取物語の古来から男性にとって難問である。装飾品や食べ物なんかの場合、相手の趣味や好みを事前にリサーチしていなければならない。気に入らない物をあげて、機嫌を損ねるのはバカバカしい。その点、バラの花束をもらって怒る女性はいない。これと狙った相手に渡すタイミングさえ間違えなければ、しばしば止めの一手になった。おまけに費用対効果も抜群。大輪の品種を選んで一本五百円としても、二十歳の女の子の誕生日なら一万円とアレンジ料で済む勘定。同じ予算でアクセサリーを選んだら安物にしかならない。(三十路を過ぎた女性にはそんな事はしませんよ。ひと抱えもする丸太のような花束を押し付けたら、喧嘩を売っている事になる) そして、証拠として残らないのがいい。もしうまくいかなくても、活き花なら枯れてしまえばそれまでで、女性のアクセサリーケースに戦利品としていつまでも残るような事がない。

定番のプレゼントだったのに、もう何年も花を買っていない。今の僕は結婚しているから、片っ端から女性に花を贈るような真似は慎まなければならないが、妻にも花をあげていない。結婚して十二年になるが、一度も家に花を買って帰った記憶がない。なぜなのかと考えてみると、石川啄木の有名な短歌のせいだという事に気づいた。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

啄木の買った花は何だったのだろう。。。 この歌は『一握の砂』に収められ、初出は明治43年10月13日夜の歌稿ノートである。秋の花だとすると、種類は何か。啄木全集の日記を開いてこの時期を調べても、花を買ったという記述はない。何年も前の出来事を思い出して作った歌かもしれない。あるいは、花など買わず、歌人が頭の中でした空想を詠んだのかもしれない。花屋の店先で実際に立ち止まり、妻に買って帰ろうとしたけれど、金が足りなくてやめたという事も考えられる。女子大の日本文学科の卒論にしたらぴったりのテーマだと思うが(既に誰かが研究しているんじゃないか)、ここでは本当に花を買ったと仮定して、考察を進めていく。

当時の啄木は貧乏暮らしの末にやっと朝日新聞の校正係に雇われ、経済的にひと心地つけた状況だった。花を買うくらいの余裕はあった。(例のローマ字日記によれば、もっと金のかかるものをしばしば買っていた)明治時代の秋の花屋がどんな品揃えをしていたのかは分からないが、まだ温室栽培は盛んでなく、路地栽培であったはずだ。手に入りやすさからすると、仏花である菊だが、歌の雰囲気に合わない。色彩が足りない気がする。啄木夫妻は本郷の床屋の二階に間借りして住んでいた。仄暗いランプの明かりの下で夫婦が見つめる花はもっと華やかでなければならない。バラなんかふさわしいけれど、季節が合わない。

石川啄木は歌人のくせに花鳥風月にあまり興味がなくて、『一握の砂』や『悲しき玩具』の二冊の歌集を読んでも、花の名前が出てくる歌は二十に満たない。種類としては、桜、ツツジ、萩、蓮、チューリップ、矢車草、ダリア、馬鈴薯、林檎の花くらい。馬鈴薯や林檎の花は畑に咲くものだから除外して、秋の開花は萩とダリアに絞られる

ひでり雨さらさら落ちて
前栽の
萩のすこしく乱れたるかな

前栽というのは草木を植えた庭の事だから、本郷の床屋の庭には萩が咲いていたのだろうか。
これも違う。ダリアはこう詠まれている。

放たれし女のごとく 、
わが妻の振舞ふ日なり 。
ダリヤを見入る 。

この歌の解釈はいくつかあって、「放たれし女のごとく」を離縁された女のようだと取り、自分によそよそしく接する妻をさびしく思ってダリアを見ているのだという説もあれば、「家」や「婚姻」という制度から解放され、自由に振る舞う妻をダリアにたとえているのだという説もある。放たれし、振舞ふ、という言葉の勢いからして、僕も後者の説を採用したい。
ダリアの歌は啄木の死後に刊行された『悲しき玩具』に収録され、明治43年11月末以降の歌稿ノートが初出となっている。正確な日付けは不明だが、「友がみなわれよりえらく見ゆる日」が同じ年の10月13日だから、この二首は最短で一カ月弱の間隔をおいて作られたと考える事ができる。一カ月経てば、どんな花でもしおれてしまうけれど、その年の秋、啄木の家にダリアの花があった事は確かだ。同じ花に触発され、二つの歌が生まれたと考えてもいいのではないか。短歌として完成するまでにタイムラグが生じ、別の歌集に収められる事になった。朝日新聞から給料はもらっていても、まだ多額の借金があり、本代にも困る暮らしぶりだから、毎週のように花は買えなかったはずだ。ダリアの和名はテンジクボタン(天竺牡丹)、原産はメキシコ、日本には江戸時代に入ってきた。

次に色の問題がある。何色のダリアか。これには『一握の砂』の次の歌を回答に当てよう。

さびしきは
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤き花など買はせけるかな

啄木はさびしくなると、赤い花が見たくなるのだ。この歌では人に買わせに行かせたようだが、自分で買う事だってあっただろう。啄木は赤いダリアの花を買い、妻と眺めたのである。こんな乱暴な推論ではどこの女子大の教授も単位をくれないが、他に資料を持っていないし、誰の迷惑になるわけでもないので、歌のイメージを決定してしまう。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

今さらながら驚くのは、これを詠んだ時の啄木の年齢だ。人生の競争に疲れ、夢や希望をなかば諦めた中年以降にこんな心境になったというなら分かる。二十四歳の作なのだ。二十四でこんな歌を詠んでしまうところに啄木の早熟と天才がある。(啄木は二十六歳で病死しているから、中年になりようがないのだが…)
僕がこの短歌を知ったのは中学校の国語の時間だった。教科書に何首か載っていて(蟹とたわむれたり、じっと手を見るやつだろう)、啄木にはもっと面白い作品があると教師が紹介した中にあった。僕は深い感銘を受けるのと同時に啄木の奥さんの事を心配した。花を持って帰った時、彼女は単純に喜んだだろう。花を買った理由を夫は言わなかっはずだ。短歌集に編まれたのを読んだ後で奥さんは初めて花に込められた意味を知った。彼女はどう思ったか。この結婚は失敗だったと後悔したんじゃないか。なぜ友達のように頑張らないのかと悲しくならなかっただろうか。明治時代の女性は今よりずっと我慢強いとしても、まったくもって甲斐性のない夫に対し、花など見ている場合かと怒りださなかったか。

この時、僕の頭には夫が妻に花を買って帰るのは後ろめたい行為だとインプットされてしまった。将来、結婚しても、こんな情けない夫にはならないようにしようと子供心に誓った。花屋の店先できれいな花を見つけ、買って帰ろうかと考えても、啄木の短歌が今も意識下で邪魔をする。文学の影響力はおそろしい。(花以外の贈り物は折々にしています。そうでなければ、十二年の結婚生活は維持できない。今年の誕生日は登山靴とトレッキングポールをねだられた。彼女は山登りが趣味なのだ) もちろん、僕が花束を携えて帰ったからといって、妻が石川啄木を直結して思い出すはずがない。
これは僕だけのタブー、特殊な心理的障壁なのだ。

この文章を書き上げるにあたり、近所の花屋へ行き、勇気をふるって赤いダリアの花を買ってきた。今や立派な中年男となり、そろそろ心理的障壁を克服すべき時だ。花瓶に活けて食卓に飾り、しばらく一人で眺める。花のある生活はいいものだと思った。帰宅した妻は一目見て驚き、とても喜んでいたけれど、やがて悟ったような表情になり、僕に訊いた。

「何か悪い事でもした?」

 

[TEXT : 杉元伶一 | PHOTO : クワイ ケイイチ]

 

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杉元伶一

杉元 伶一(すぎもと れいいち)は、日本の小説家、漫画原作者。埼玉県生まれ。1987年、『東京不動産キッズ』で第49回小説現代新人賞を受賞し、デビュー。

著作
[長編小説]
・就職戦線異状なし
・君のベッドで見る夢は
・スリープ・ウォーカー

[エッセイ]
・フリーター・クロニック
・ナウなヤング 合作者・水玉螢之丞

[漫画原作]
・国民クイズ 画・加藤伸吉

Wikipedia より