横浜の様な、池袋の様な、池袋の様な、横浜の様な…

ボクの生まれは、池袋界隈の地域であります。
首都高速5号線の建設に伴い、ボクの生家は立ち退きとなり、
小学校3年生の時、ボクの父親は新たな居住の地として埼玉県大宮市に移りました。
池袋界隈で過ごした幼少期の記憶は、ボクの中では今でも鮮明でありまして、
家の前にあったドブ川の事や、家の近所にあった見次公園の事や、
それから通っていた幼稚園や北前野小学校等々の記憶は忘れる事が出来ません。
ボクの住んでいた家の周りのそれこそ向こう3軒両隣は、父親方の親戚一同も住んでおりまして、
伯父さんや伯母さんに怒られながら、従兄弟同士で毎日相当の悪さをしていた覚えがあります。

成人し、ある事を機会に、ボクは再度、池袋の街に関わる様になりまして、
それからの人生と云うもの、その懐かしい風景は常にボクの傍らに在る様になりました。
そして今から6年程前、流れ流れて、横浜市中区に住む様になったのでありますが、
その夜、中区での初めて迎えた暗闇に感じた時の安堵感…
それはまさに、幼少の頃、池袋界隈で過ごした記憶のフラッシュバックだった訳でありまして、
この見ず知らずの横浜中区にて、大いなる郷愁を覚えた次第であります。

横浜と池袋は、とても似ている街だと思います。
猥雑さと、やるせなさと、街としての怖さと冷たさと奥の深さと、
路地のあちこちには必死に生きた人々の陰影と教えが染着いていておりまして、
それでいて、いつでも帰る事の出来る居場所を見つけられそうな気配が立ち込めていており…

横浜の様な、池袋の様な、横浜の様な、池袋の様な…
悲しい様な、悲しく無い様な、
寂しい様な、寂しく無い様な。。。

人生の終焉を迎える迄には、もう少しだけ時間が残されている様でありますので、
せめてその時迄には、この流浪の感じからは脱却していたいものだと、
そして叶う事が出来るのであれば、是非この地に骨を埋めたいと、そう思う次第です。

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